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Days in my life

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2008年、高松港

2008年10月の高松港前。
宇高国道フェリーが発着する港の前には、大きな電光看板が設置されていました。
ネオン管がなんとも昭和の雰囲気。

広島に住んでいた学生時代、
このフェリーを使って帰省をすることが何度かありました。
ものすごく落ち込んでいた時、
暗い顔をしてひとりポツンと席に座っていると、
船員さんが声を掛けてくれて、操舵室に入れてくれました。
まあ、いわゆるナンパされたんですね…笑。

操舵室から見渡す穏やかな瀬戸内海の風景が、
ものすごく心を癒してくれたのを鮮明に覚えています。
男だらけの職場で働く船員さんたちの軽妙なやりとりも楽しかったな。

きっと今の時代だとこういったことをするのはNGなのだろうけど、
まだまだ緩やかな良い時代だったように思います。

2010年に開催された第1回目の瀬戸内国際芸術祭の時は、
宇野港を経由して豊島から帰ってくるのによくお世話になりました。

いつの間にかこの看板もなくなって、
数年前にはこの航路も休止となりました。

英語の積算学習時間
1000時間突破!

1,000時間を費やしてようやく初心者を脱出できて、
10,000時間を費やしてプロと呼べるレベルになる。
いわゆる「1万時間の法則」と言われているもの。

ただ漫然と時間を費やすだけで
何か技術を得られるものではないとは思うけれども、
やはり趣味でも仕事でも何かを習得しようと思ったら
それなりの覚悟を決めて、そのために時間を割くことは必要だと思ってます。

これはもちろん、英語学習にも当てはまるはず。

英語学習の壁にぶち当たって伸び悩んでいた2017年12月、
ふと思い立って英語を勉強した時間の記録をつけるようになりました。
「Study plus」という便利なアプリがあるので、
1分でも2分でも英語に触れたらとにかく記録をつけるようにしました。

“学習記録”と言えども、
“机に向かって勉強”している時間はむしろ少なくて、
英語に関するYoutubeを見る、
ウォーキングしながらpodcastや語学講座を聴く、
待ち合わせに早く着いた時にスマホで単語を見る、
英語でドラマや映画を見る、
そんなゆるい時間の方がむしろ多く、
そういったこま切れの時間もこまめに記録をつけていきました。

そしてつい先日、積算学習時間が1000時間を超えました!

この1000時間を振り返って思うことは、
「費やした時間は決して裏切らない」ということです。

そして今の私にとって、
英語は“勉めて強いて身につける”ものではなく、
とにかく学ぶことそのものが楽しくて仕方がないものになってきました。
そうしてこの「楽しい」と思う気持ちが、
「英語を絶対に習得したい!」という意欲に、
どんどん薪をくべてくれているように思うのです。

最近、私のまわりでも英語を学び始めたり、
英語に興味を持つ人が増えてきました。
それをとてもうれしく思ってます。

どんなレベルの段階であれ、絶対に「壁」はやってくるもの。
“できること・できないこと”にフォーカスを当てると、
どうしても心がくじけそうになるけれども
そんな時こそ、学習時間の記録をつけるのをおすすめします。

英語学習を始めたばかりの人は、まずは100時間を目標に。
100時間達成したら、次は300時間、500時間と目標積算時間を伸ばしていく。
学習時間という“努力”を数字として記録し、
「これまでどれだけ勉強してきたか」を確認することは
モチベーションを保っていくにもとても有効だと思います。
そして、その費やした時間は絶対に裏切りません。

私も次の2000時間目指して、英語を楽しんでいきたいと思います。
一緒に楽しみましょう!

Study plus
https://www.studyplus.jp/

スマホアプリが便利!
(iPhone用)
https://itunes.apple.com/jp/app/apple-store/
(Android用)
https://play.google.com/store/apps/

好き」のおすそわけ

美味しいパイナップルケーキをいただきました。
台湾に本店がある「李家餅家」のもの。

パイナップルケーキと言えば台湾みやげの定番。
「微熱山荘」や「土鳳梨酥」のは食べたことがあるけれど、こちらははじめて。

おすそ分けしてくださったのは、
マレーシアのことがきっかけで、ブログを通して知り合った菜穂子さん。

マレーシア料理の「ナシレマ」のことを調べていたときに
菜穂子さんが書かれた記事をみつけ、
それがとても魅力的だったので、
リンクが貼られていた菜穂子さんのブログに飛んで、
そこからインスタで繋がったのが知り合ったきっかけでした。

菜穂子さんは20年前に初めてマレーシアを訪れてから
その魅力にどっぷりハマってずっと通い続け、
そしてご縁があってイスラム教に改宗し、
マレーシア人の旦那さまとご結婚されました。
奇しくも、まもなくマレーシアに移住すると言うタイミングで
ちょうど私が大阪にいる日に彼女も大阪にいるということで、
ランチをご一緒する機会に恵まれました。

マレーシアのこと、その他の旅先のこと、仕事のこと、
そして私にとってはイスラム教徒の友達ができたのは初めてのことなので
改宗するってどんな感じなのかとか、話すことがまったく尽きなかったです。
初対面なのに、初対面のように感じない。
こういう感覚はとっても久しぶり!

そして、
マレーシアと同じように菜穂子さんが何度も訪れている台湾のお土産としていただいたのが
この「李家餅家」のパイナップルケーキ。
台湾に行ったら、いつもこれを買いにわざわざお店まで足を運ぶほどお気に入りなのだとか。

早速うちに帰って包みを開けると、ふわっとパイナップルの香りが。
バターの風味がほんのり感じるサクサクとした生地に
しっとりとした餡の素朴な味で、とても食べやすく美味しかったです。
菜穂子さん、ありがとう!

こうやって自分の「好きなモノコト」がきっかけで繋がった人と
何かを「好き」と言う気持ちを交換したり、
おすそ分けをしあったりすることって、いくつになってもワクワクします。
そして、そういったことが気持ちを豊かにし、
ひいては人生も豊かにしてくれるのだと、この頃よく思います。

菜穂子さんともまたマレーシアで再会できるといいな。
ブログを通して、これからのマレーシアでの新婚生活を垣間見れるのも楽しみです。
https://blog.goo.ne.jp/cintamalaysia

新学期

2006年からはじめた大学非常勤講師の仕事。
今年で13回目となる新年度を迎えました。

いつも通りキャンパスに行き、
非常勤講師室でタイムカード押していると、
「今年度から10分講義時間が前倒しになったんです!!」と
事務の方が慌てた様子で伝えてくれました。
時計を見ると、もうすでに3講時が始まってる時間。
やってもうた…。

大急ぎで教室に行くと、
今年担当する2年生の学生たちが揃って机に座っていました。

新学期に先生が遅刻するという失態をしでかしてしまったおかげで、
笑いも取れて、和やかな雰囲気での授業スタートとなりました。

毎年15〜20名程度の受講生なので、
初めての講義の時には学生たちに自己紹介をしてもらってます。
・名前
・出身地
・この講義で学びたいこと
・自己PR
を一言ずつ言ってもらってるのだけれども、
今年の学生たちは個性豊かでものすごくエネルギーがあって、とってもかわいらしい!!
そして、初めて留学生を受け持つことになりました。

フリーランスの私にとって、
フレッシュな新年度の空気を感じることができる、貴重な嬉しい時間。

1年間、良い授業ができるようがんばろうと思います。

「カーネーション」と7月4日。

この春から再放送している
朝の連続テレビ小説「カーネーション」を録画して見るのが、
毎日のささやかな楽しみです。

2011年の秋に放送されていた時も毎日見ていたはずなのに、
7年前は気づかなかった新しい発見がたくさんあります。
ヒロインの尾野真千子さんや周りを支える役者の方々の演技も魅力的で、
何度見ても見飽きることがありません。

ヒロインのモデルとなった小篠綾子さんは大正2年生まれで、
100歳で天寿をまっとうした大正元年生まれの私の祖母とひとつ違い。
なので、ヒロインの生きざまを通して、
祖母の生きてきた時代を垣間見ているような気がします。

母や叔母に聞いた話によると、
戦前に輸出業を営んでいた祖母の実家はとても繁盛していたようで、
実は祖母は結構なお嬢様だったよう。
娘時代には大阪や神戸にしょっちゅう連れて行ってもらっていたそうです。

けれども戦争で実家の稼業は傾き、
戦後しばらくして夫を病で亡くし、
女でひとつで子どもを育て上げ、
それがどれほどの苦労だったか
私自身が顧みることができるようになったのも
そんなに遠い昔ではありません。

まだ私が小さかった頃、
いつもやさしかった祖母の話で、
恐ろしくてあまり聞きたくなかった話がひとだけあります。

今からちょうど73年前の7月4月に起こった徳島大空襲の話。
空から焼夷弾が火の雨のように落ちてきて、
焼け野原になった町で黒焦げになった屍体をたくさん見かけたことなど、
幼い私にはどうして怖くて、祖母の話を遮ったことも何度かありました。

空襲に遭った頃、祖母のお腹には母が宿っていました。
どんな気持ちで、焦土となった町を眺めその後の敗戦を迎えたんだろう。
そんなことも、晩年にちゃんと聞いておけばよかったと思います。

そして
哀しいことだけじゃなく、
どんなことが好きだったのか、
どんなことをして遊んでいたのか、
どうしておじいちゃんと結婚したのか、
いとこや私たち姉妹が生まれた時はどんな気持ちだったか、とか。

今となっては聞くことはできないからこそ、
「カーネーション」のヒロイン糸子を通して、
おばあちゃんの生きてきた時代を知り、
おばあちゃんはその時どんなことを考えていたのか想像することで、
時々、心の中で対話しているような気分になることがあります。
ぬくぬくとした時代に育ってきた私なんかよりも、
ずっとずっと心が強かったと思います。

ヒロインの育った岸和田の町。
この時だんじりを一緒に見ていた父も、もういません。

歳を重ねるごとに、
夏は生と死を色濃く意識する季節になってきているような気がします。

近くの公園からは阿波踊りの練習の音が聞こえてくる、平和な夜。
阿波踊りの運営自体は、なんだか穏やかではないけれどねぇ…。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32613590U8A700C1LA0000/

運動会

もう10日以上前の話。

甥っ子の小学校初めての運動会がありました。
これまでのように、甥っ子専属カメラマンとして参上。

元城下町だけれども
ドーナツ化現象で少子化が進み、
1学年ひとクラスのみで
全校生徒数130名ちょっとの小さな公立小学校の運動会は
地域の町内会やら老人会の方も大活躍。
一緒に玉入れをしたり、綱引きをしたり、アットホームな雰囲気。

そして、上級生がテキパキと種目の準備をしたり
下級生のお世話をしたりする姿が、とても頼もしかったです。

クラスの中でもチビッ子の甥っ子くんは、
お兄さんお姉さん、地域のおじいちゃんおばあちゃんに甘えるのが、さりげなく上手。

私立の幼稚園に通っていた時とはまた違った雰囲気で楽しめました。

彼の母親である妹や、父である義弟にとって故郷ではないこの町が
こうして少しずつ甥っ子にとっての故郷になっていくのだなと
改めて感じた1日でした。

三回忌を終えて

日曜日は父の三回忌でした。

父が息を引き取った時にはまだ4歳になったばかりで
その後の法要の時にずっと座っていられなかった甥っ子も小学校に上がり、
お客さんにお茶をふるまったり、愛想をふりまいたりしている姿を見て
時の流れを感じました。

実家の庭は春爛漫で、花盛り。
母は草花を育てるのがとても上手です。

これまでは父の趣味の盆栽が
ずいぶんとスペースを占領してしまっていたんだけれども
これからは、もっと自分の好きなことを好きなように
楽しんでもらえたらいいなと思っています。

ガーデニングだけじゃなく、母のこれからの人生も。

しかし、
両親とも“グリーンフィンガー”を持っているのに
哀しいくらいにちっとも受け継がなかった私…。

ベランダで枯れてしまった植物たちを片付けて、
そろそろバジルの苗でも買いに行こうかな。

2年前

Macのハードディスクがいっぱいになってきたので
デジカメで撮った写真データを少しずつ整理しています。

これはちょうど2年前の3月26日に撮ったもの。
北海道新幹線が開通したというニュースを
父の入院しているホスピスの病室で見ていました。

この頃、
4歳になったばかりの甥っ子のマイブームがプラレール。
北海道新幹線の車両にも夢中だったので
「元気になったら、みんなで乗りに行こうね」
なんて話を、父と母としていました。

楽天的に考えたい私は、
何か奇跡が起きる可能性がゼロではないことを、
この時点でもまだ信じて疑っていませんでした。

でもきっと父は自分の体の状態を
誰よりもよくわかっていたのではないかと、
今になって思います。

余命が月単位から週単位に、
そして日単位から時間単位へと刻一刻と変わっていくなか、
家族で過ごした穏やかな時間を、懐かしく思い出しました。

父は病が分かってからずっと、
家族には“いつも通りの生活をすること”を強く望んでいました。
厳しいくらいに。

2年前の3月や4月のブログを久しぶりに読み返してみて、
私も平常心を保つため必死だったことも、思い出しました。

しかし、ブログで振り返ってみてみると
看病しながら仕事もして、
よく英語の勉強も途切れず続けられたなぁ。
そしてブログ書くことも。
もうあの時の感情をあの時と同じように思い返すことはできないので、
書き留めておいてよかったなと、改めて思います。

今、年度末の締め切りで
とにかくバタバタしていて胃が痛く余裕がない毎日なんだけど、
あの頃のことを思い出すと、なんとか乗り切れそうな気もしてきました。
いや、乗り切らないといけないんだけど。

TERIMA KASIH!

7泊8日のマレーシアの旅も、いよいよ終わり。
空港まで送ってくれるという友達の言葉に甘えて、
この旅最後のマレーシアドライブ。

本当に、何から何までありがとう。

彼女や彼女の家族が住んでいなかったら
きっと一生訪れることがなかったマレーシア。
訪れるまでは「東南アジアの発展途上国のひとつ」程度の認識しかなかったけれども
この1週間でそれが大きく変わりました。

人がおおらかであたたかいこと、
食べ物がとっても美味しいこと、
もはや《発展途上国》ではなく
《中進国》として目覚ましい発展を遂げているということ。

そして、
宗教や文化的背景が異なる人々が隣り合って暮らす多民族国家の暮らしを、
そこに住む人に近い視点で感じることができたことによって
自分の固定概念や
《先進国》の日本に住んでることで知らずに身についていた奢りのようなものを、
認識させてくれました。

彼女は小さい頃から
日本全国各地を転々として育ち、
結婚して家庭を築いてからは
海外での生活が長く続いているけれど、
国内外どこにいても
自分の好奇心のアンテナに引っかかるものを大切に
分け隔てなくいろんな人と出会って関係を築いて
それぞれの土地での暮らしを楽しんでいる姿に、
いつもたくさんの刺激をもらっています。

だから、彼女の住んでいる街を訪れると
もれなくその場所を好きになって帰路につくことができます。

マレーシア。
とにかく私は大好きな国のひとつになったし、
マレーシアを通して、
イスラム教やイスラム文化、スパイスを使った料理など
これまで知らなかったこと、目を向けようとしてこなかったことに
興味を持ちはじめ、宿題のように読みたい本や見たい映画がたくさんでき、
帰国してからはついつい仕事で忙殺されがちな日々の暮らしを、豊かに彩ってくれています。

そしてそれは、良き案内人があったから。

Terima kasih!
マレー語で「ありがとう」という言葉は
愛(kasih)を受け取った(Terima)という意味だそう。

自分が住むマレーシアという国への愛、
そしてそこを訪れた旅人の私にその良さを伝えようとしてくれたおもてなしの愛。
たくさんの「愛」を健やかに感じることができた1週間でした。どうかまたマレーシアを訪れる機会に恵まれますように!

タマンデサを散策

マレーシア滞在最後の朝は、
夜明け前にどこかのモスクから聞こえてきた
礼拝を呼びかけるアザーンの音で目が覚めました。

パッキングを済ませた後、
友達家族の住むタマンデサの街並みをふらっと散策しました。

中華系マレー人が多く住むこのエリア。
軒先に赤いランタンを吊るした住居が並んでいました。
中国では赤は幸運をもたらす色と言われてるそう。
確かに見た目にも福々しい。


ペパーミンントグリーンのファサードがかわいらしいクリニーニング店の店頭にも
マラッカのチャイナタウンで見かけたのと同じ神棚のようなものがありました。


屋台に陳列されるのを待つバナナを包んでる新聞も、中国語でした。

道路沿いにはたくさんのトロピカルフルーツを売ってる屋台。
マレーシアのあちこちの屋台で売られているドリアンも
試してみたい気持ちはあるものの、食べた後どのくらい臭うのかが心配で、
今回の旅では勇気が出せず、未経験。
なんとなく味は好みのような気がするので、いつかどこかで試してみよう。


なだらかな坂道に沿って、ホーカーと呼ばれる屋台が並んでいます。
シンガポールもそうだったけど、マレーシアでも自宅で調理をせずホーカーですべての食事を済ませるローカルの人たちが多いのだとか。


すでに開店しているお店には、たくさんの人たち。


お皿に並べられたバナナはデザートかな。
日本ではみかけない小さいバナナ。


ちょっと歩くとまた別のホーカーがあって、
こちらもたくさんの人が食事を楽しんでいました。
平日の昼間なのに、男の人もたくさんいる。
金曜日だったから、ゆっくりブランチを済ませてモスクに礼拝に行くのかな。
それにしても賑わってるなぁ。


洗濯物を干してるお母さんと目が合いました。


少し歩くと、ヒンズーの寺院がありました。
生命力溢れる街路樹の木々たち。


ところどころ、「LORI SEWA」と書かれた看板が。
気になって意味を調べてみると、
“LORI”が“大型トラック”、“SEWA”が“レンタル”で、どうやら引越し業者の看板のよう。
http://nakanopropertymalaysia.com/blog/

確かに、この看板がたくさん掲げられた近くには、引越し業者の需要があるであろう海外の駐在員が多く住むコンドミニアムがいくつかありました。
でも、電話番号だけ書かれていても何がなんやらわからないから、
会社名とかURLも書いたらいいのに。
しかもマレー語で。
この看板見て引越しの依頼をする人っているんだろうか?
素朴な疑問。
ついつい職業病で考えてしまいます…笑。

毎日車で通ってた場所を歩いてみることで、
いろんな発見があって楽しかったです。
けど、歩いている人をほとんどみかけなかったな。
どこを歩いても、道に傍には縦列駐車の車がズラリ。

さて、
名残惜しいけれど、
帰って空港へと向かう準備を進めます。