Days in my life

カテゴリー: 旅 (page 1 of 5)

潮目が変わる

今から17年前、
世間ではSARSが大流行し、
イラク戦争も開戦した直後に、
イタリアとフランスを放浪していました。

あの時はアジア人であることを侮辱されることや、
人種のことで嫌な思いをしたことなんて、一度もありませんでした。

そして、ウフィツィやルーブル、ポンピドゥセンターなど大きな美術館には
必ず日本語の音声ガイドがあり、
どこに行っても観光客として日本人が歓迎されているように感じました。

そして今、
コロナウィルスのの影響で
日本人が行くことができない国がどんどん増えてきています。
昨夜もインドが日本人に発効したビザを無効にするというニュースが飛び込んできました。

日本のパスポートは最強だと思ってたけど、
それは国の信用の上に成り立ってたことなのだということを痛感しています。

そしてその”信用”って言うのは、
先の大戦後、私たちの祖父母や両親の世代が
一生懸命生き抜いて築いてくれたものなのだとも思います。

日本人として日本のパスポートを持っていたら
無邪気にどこにでも行くことができていた時代から
大きく潮目が変わってきているように感じるこの頃です。

写真は2003年4月
イタリアヴェローナにあるカルロ・スカルパが設計したカステルヴェッキオにて。

JAZZ茶房青猫

数年に一度しか訪れる機会はなかったり、
もしくは、たった一度しか行ったことがなかったりしても
「ここは紛れもなく、私のお気に入りの大切な店」
と言えるお店が、あちらこちらにいくつかあります。

「Jazz茶房青猫」

名古屋市内を東西に走る地下鉄東山線の終着駅にあるこの店も、そんなひとつ。
約10年ぶり、2度目の訪問です。

地下へと続く階段を降り、大きな鉄の扉を開けると、
マスターの美意識で作り上げられた
静謐だけど温かみのある空間に、豊かな音が響きわたります。

“Jazz茶房”と言えども、堅苦しい雰囲気はなく、
仕事帰り1人でふらっと訪れる会社員もいれば、
カップルや女子同士できている人もいて、客層もいい感じでバラバラ。

とにかく、ここの音響が素晴らしいのです。

ジャズや音響マニアじゃなくても1人でも心地よく過ごせるし、
連れと来たときは、程よいおしゃべりだってできます。
そうして肩肘張らず”良い音”を楽しめるだけではなく、
お料理もお酒もきちんと美味しいのがうれしい。

ボーッと音に耳を委ねたり、
ここに来るまでに買ってきた本を読んだりと、
のんびりと贅沢な時間を過ごすことができました。

奇しくも知人がこのお店の常連ということをふとしたことで知り、
マスターを通して近況も聞けたものよかったです。

とにかく、また来ることができてうれしかった 大切に感じているお店です。
次はいつ行くことができるだろう。

Jazz茶房青猫
〒465-0032 愛知県名古屋市名東区藤が丘49 アンフィニビルB1F
052-776-5624
OPEN 13:00~24:00/日曜日のみ 13:00~19:00
CLOSE 木曜日

高松宇野航路、最終日

高松港と岡山県の宇野港を結ぶ航路に、幕が降りました。

島国四国に住む人間としては
ついにこの航路にまで幕を降ろす日が来てしまったのか、という気持ちです。

私は徳島で生まれてすぐに、
父の仕事の都合ですぐに尾道の向島に移り住みました。
なので、幼い頃には両親から
たくさん宇高連絡船の思い出話を聞かされていました。

引っ越してすぐ私や母の面倒を見に、
祖母が初めて一人旅で乗った船であるということ。
今のように本州と四国が陸続きでないため、
赤子を連れて列車と船を乗り継いで帰省するのはとても大変だったということ。
赤子の私と大きな荷物を抱えて一人で徳島まで帰省していた母の荷物を
親切な人が手助けしてくれて高松駅まで送ってくれたこと。

サイクリング部に属していた学生時代には
自転車を乗せて渡り、岡山県玉野市の海岸でキャンプをしました。
翌朝、王子が岳で見た朝日はとても綺麗でした。

そして、操舵室に入れてもらったことも。

2008年、高松港

大人になってからの思い出は、
やはり瀬戸内国際芸術祭。

豊島からの帰りの船に積み残された時は、
豊島から一旦宇野港に渡って、
そこから高松港へと戻ってくるということを何度か繰り返しました。

「高松宇野航路があるから安心」でもありました。

とはいえ、2019年は瀬戸芸にすら行くこともなく、
高松宇野航路に乗ることすらなかったので
無責任な発言ではあるけれども、なんとも寂しいものです。

熱田神宮の冬桜

週のはじめは、出張で名古屋と京都へ。
名古屋は確か7年ぶり。

宿泊していた宿からひと駅のところに熱田神宮があったので、
参拝に行ってみました。
驚くことに桜が咲いていました。

思いも寄らず紅葉と桜の競演を生まれて初めて楽しむことができました。

中津川の栗きんとん 食べ比べ

中津川は栗きんとん発祥の地。
ずいぶん昔に「すや」の栗きんとんをお土産にいただいて
あっさりと素朴でシンプルながらも
栗の風味が口いっぱいにふわっと広がる味わいに、とても感動しました。

そして、栗の季節になると
中津川では多くの菓子店がその腕を競うように
栗きんとんをはじめとした、趣向を凝らしたさまざまな栗菓子が
発売されるということを知りました。

とはいえ、中津川から遠く離れた四国に住んでいたら
なかなかそれらを口にする機会に巡り会うことができません。

「いつか栗きんとん発祥の地で、栗の季節に栗きんとんを食べ比べしてみたい」
そんな積年の夢が、ようやく叶いました。

「すや」 と「川上屋」。
中山道沿いにある ふたつの老舗人気店の栗きんとんを食べ比べ。

「すや」の方は栗のつぶつぶがたくさん入っていて、
その食感と栗の素朴な風味がしっかり感じられるのが特徴的でした。
「川上屋」の方はていねいに裏ごしされてて、よりなめらかな食感。
どちらもとても美味しかったけど、私はより素朴な味わいの「すや」が好みかな。

中津川の町並みを見渡せる絶景スポットでいただく栗きんとんは格別でした。

オンラインショップで注文もできるようだから、
来年からは毎年秋の楽しみとしてお取り寄せしてみようかな。
それぞれのお店で自分や家族へのお土産として買った栗菓子も秀逸な味でした。

すや
http://www.suya-honke.co.jp/
季節限定の「栗蒸し羊羹」も最高に美味しかった!

川上屋
http://www.kawakamiya.co.jp/
炊き上げた栗に栗きんとんをまぶした「嬉しの栗」は見た目にも楽しく美味

天空の城「苗木城」

中津川の町並みを散策した後は、木曽川の川向こうにある苗木城へ。
苗木城は天然の巨岩を利用して石垣が構築された山城で、
その姿から「岐阜のマチュピチュ」「天空の城」とも呼ばれているそう。

実は、
中津川の中心地からスマホのナビで案内された道がとんでもなく細くうねった山道で、
ハンドル操作をひとつ間違えたらそのまま崖に落ちてしまいそうな恐怖心と戦いながらの
スリリングなドライブでした。

後からもらったガイドマップを見てみると、
どうやらそこは徒歩で登る登山道として紹介されている道。
車で行く場合は「苗木遠山史料館」をナビに登録すると良いそうです。
なんとなんと…。

「苗木遠山史料館」前に車を停めてしばらく歩くと、
巨岩とその上に積まれた石垣が見えてきます。


天守跡までの道のりは柵もないので、高所恐怖症の人にはこれまたスリリング。


息を切らしながら登る道中では、こんな素晴らしい風景も。


城を守り、天守を支えていた巨岩たち。
こんなところに城を築こうと思った、昔の人の発想にただただ感心します。


目指すはあの展望台の上まで!


展望台からは、さっきまでいた中津川の町並みが一望できます。
奥に見える高い山は恵那山。
それにしても見事な日本晴れ!
この風景を見ながら食べた栗きんとんは格別でした。
http://www.pecograph.com/note/?p=10635


帰路から見えた苗木城。
遠くから見てもカッコイイ城でした。

栗きんとんの町 中津川は
中山道の宿場町

せっかく栗の季節に岐阜に行くので
積年の夢だった栗きんとん発祥の地 中津川で栗きんとんの食べ比べをしたい。

そんな私の望みを叶えるべく、
岐阜の旅2日目は友達の住む各務原からひたすら東へ進路を取り
中津川へと車を走らせました。

走れども走れども、まわりは山。
岐阜県はとにかく広いです。

各務原から1時間半ほど下道を走って、ようやく中津川に到着。
ゆるゆると標高を上がってきたので、なんとなく空気が軽く感じます。

町でもらったパンフレットによると、標高は約230メートル。
徳島でいうと、眉山くらいの高さのところに町が拓けていることになります。
町の南側には中央アルプスの恵那山が綺麗に見えます。
そして南から北に向けて緩やかに傾斜しています。


中津川はかつて中山道の宿場町として栄えた町。

栗きんとんの名店、「すや」や「川上屋」もこの街道沿いにあります。
「すや」は新町と呼ばれる、駅からもほど近いエリアにありました。
「すや」を起点に西へとしばらく進むと、古い家屋が立ち並ぶ本町エリアに。


通り沿いには綺麗な小川が流れていました。


「川上屋」は本町エリアにありました。

駅に近い新町エリアよりも、古い建物が並ぶ本町エリアの方が少し賑わっていた印象です。


本町エリアには、こういった新しい感性で作られたお店もいくつかありました。

そして栗のシーズンとはいえ
「すや」も「川上屋」も思っていたより空いていて、
栗きんとんをはじめとした気になるお菓子をじっくり吟味することができたのが
ちょっと驚きでした。

「すや」や「川上屋」の栗きんとんといえば
四国に住んでいるとなかなか食べることができない幻のスイーツだと思っていたので。

両店でしっかり栗スイーツを買い込んで次の目的地へと向かいます。

モザイクタイルミュージアムへ

友達が岐阜に引っ越してから
「ぺこっちが岐阜に来たら、モザイクタイルミュージアムに行こう」
とずっと誘ってくれていた、多治見市モザイクタイルミュージアムへ。

今回の旅はほぼ彼女にお任せ。
この美術館のことも事前に何も調べず連れいってもらったため、
間近で建物を見てびっくり!!

この有機的なフォルムと、屋根に草の生えてる感じ。
設計はもしや…

受付でもらったリーフレットを見てみると、
やはり藤森照信さんの設計でした。

とにかく見ても、触れても、そこにいるだけで楽しくなる建築。


入場料を払ったあとは、階段で一気に4階まで昇ります。
登り窯をイメージして作られたという、この空間が圧巻!
壁も階段もすべて左官仕事で仕上げられているのです。


薄暗い階段を昇りきると、
床から天井までびっしりタイルに敷き詰められた明るい空間が
パッと目の前に広がります。



「こんなの昔あった!」と懐かしい気持ちになったり
「タイルってこんな使い方もあるんだ」という発見もあったり。
さまざまなタイルの表情に、童心がくすぐられます。

友達のおばあちゃんの家は昔こんなお風呂だったそう。
かわいい。

昔に作られた家はユニットバスとかシステムキッチンといった工業製品は少なくて、
現場で職人さんが手を動かして作るするのが当たり前だったことにも改めて気づきます。
今思うと、ものすごく手間暇かかってて贅沢だなと思います。



3階のギャラリーでは
わかりやすく整理された年表やたくさんのタイルの見本で
多治見のタイルの歴史が楽しく学べます。

企画展で紹介されていた、
大阪の堺筋本町交差点にある大阪商工信用金庫の新本店の
今井兼次がつくったモザイクタイルの不死鳥の壁画がとても気になりました。
建物の設計は安藤忠雄。
https://12102kentaro.at.webry.info/201711/article_1.html

年に何度か通る場所なのに、全然知りませんでした。
今度ここを通る時はじっくり観察してみようと思います。


2階はタイルを使ったインテリアのショールーム、
1階はミュージアムショップとワークショップもできるスペースがあって
老若男女たくさんの人で賑わっていました。

こじんまりとした美術館だけど、
とても見ごたえがあって無邪気に楽しめました。

そしてここを訪れてから、
町を歩いててもタイルにやたらと目が行くように。

知識が増えることで、
なんてことない町の風景にもむくむくと興味が湧いてきます。

建築も展示も、素晴らしい美術館でした。

県境にある城
犬山城

「各務原」
年賀状を書く時に見よう見まねで書き写すことはできても
読むことができなかった、友達の住む町へ。

各務原(かかみがはら)は、岐阜県南部の町。
木曽川を挟んだ向こう側は、愛知県の犬山市です。

県境の橋を渡るとき、ライトアップされた国宝の犬山城が見えました。


翌朝、高台にある友人の家の近所からも犬山城がきれいに見えました。

県が違えば、藩政時代は違う「藩」であっただろうに、
いわばよその「国」の城がこんなに近くに見えるのってどんな感じなんだろう?

気になって調べてみたら
徳川家のお膝元がある東海地方は幕府直轄領や旗本領だったエリアが多く、
この辺りも美濃国に属していたり、尾張藩になったりという歴史があったそう。

中山道の通る町なので人の行き来も多かっただろうし、
外様大名が治めていた島国四国の阿波藩とは
「 国境」に関する認識も違っていたのかもしれないな。

しかし、隣の県の城がこんな近くに見えるなんて、
ものすごく不思議な感じがしました。

調べているときにみつけた
子ども向けに書かれたこの資料もおもしろかったです。

濃尾平野の農業を守れ
http://www.maff.go.jp/tokai/noson/shinnobi/kids/
尾張の国と美濃の国の水にまつわる攻防戦がわかりやすく書かれています

若いときと違って
有名な観光地に行ってすごい景色を見たり、
お洒落でイケテル場所に行ったりすることよりも、
こうやってじんわりとその土地の風土や文化を感じれる景色を発見することが
旅の楽しみであり、喜びになってきました。

でも、今回は遠くだけから眺めるだけだった犬山城も、いつかちゃんと訪れてみたいです。

2008年、高松港

2008年10月の高松港前。
宇高国道フェリーが発着する港の前には、大きな電光看板が設置されていました。
ネオン管がなんとも昭和の雰囲気。

広島に住んでいた学生時代、
このフェリーを使って帰省をすることが何度かありました。
ものすごく落ち込んでいた時、
暗い顔をしてひとりポツンと席に座っていると、
船員さんが声を掛けてくれて、操舵室に入れてくれました。
まあ、いわゆるナンパされたんですね…笑。

操舵室から見渡す穏やかな瀬戸内海の風景が、
ものすごく心を癒してくれたのを鮮明に覚えています。
男だらけの職場で働く船員さんたちの軽妙なやりとりも楽しかったな。

きっと今の時代だとこういったことをするのはNGなのだろうけど、
まだまだ緩やかな良い時代だったように思います。

2010年に開催された第1回目の瀬戸内国際芸術祭の時は、
宇野港を経由して豊島から帰ってくるのによくお世話になりました。

いつの間にかこの看板もなくなって、
数年前にはこの航路も休止となりました。