長らく病と闘ってきた父が、4月2日に旅立ちました。

「沈黙の臓器」と言われる膵臓に癌が見つかったのが4年4ヶ月前、
2011年の年の瀬も押し迫る頃でした。
ちょうどその時、父にとって初孫となる甥っ子が妹のお腹にいました。

「孫ができるなら長生きせな!」と、
もともと体がとても丈夫な父は ‘健康という太鼓判を押してもらう’くらいの気軽な気持ちで近所のかかりつけ医で検診を受けたところ、膵臓に影がみつかり、県立中央病院で精密検査、そして直ちに手術となりました。
この時点で「ステージⅣ-a」という、いわゆる末期ガンの状態でした。
膵臓癌が「ガンの王様」と呼ばれるほど予後の悪いガンであるということも、私はこの時初めて知りました。

けれども無事手術も成功し、幸い抗がん剤の副作用も少なく、その後も毎朝散歩にでかけたり、畑仕事をしたり、仲良くしていただいている同級生の仲間たちと遊びに出かけたりと、マイペースに父らしく日々を過ごしていました。
病気ということを知らなければ、どこからどう見ても健康そのものでした。

そして手術から1年半後に肝臓と肺に転移しているのがみつかりました。
その時はさすがにショックを受けていたようだったけれども、信頼できる先生に恵まれ、前向きに弱音のひとつも吐くことなく病と向き合っていました。
この文を書いていて気付いたけど、そう、まさに「向き合う」と言った言葉がぴったり。

病に対してがむしゃらに立ち向かうというより、自分の体に起こったことを受け止め、その時できることを自分なりに考え行動に移していたように思います。

「絶対に病人扱いしないで欲しい。病気と病人は違う」と、
父は家族には厳しいくらいに“いつも通りの生活をすること”をずっと強く望んでいました。
また父自らも 病を抱えながらも自分らしくいつも通りの生活を楽しんでいたように思います。
主治医から許可が出たらすぐさまお酒も飲むし、友人たちとせっせと遊びに出かけるし 笑。

だけど、今年に入ってからだんだんと体力がなくなり、家で過ごすことが多くなりました。
抗がん剤などの積極的な癌治療を終え、訪問医療の医師や看護師にお世話になり自宅で療養していたけれども、いよいよ痛みがひどくなってきてホスピス専門病院へ。
最期の12日間は緩和治療のプロフェッショナルな医療チームに父も家族も心強く支えられ、濃密な父との時間を過ごすことができました。
そして、あたたかな春の光が差し込む部屋で家族全員に見守られながら穏やかに息を引き取りました。
身内ながらも、本当によくがんばったと尊敬します。
父らしく最後まで自分の「生」を生ききったのではないかと思います。

自分の葬儀についても生前「こうして欲しい」とはっきりと言っていたので、できるだけ父の希望に沿う形になるよう、家族と力を合わせ娘としてできる限りのことをしました。
お陰で、満開の桜の中たくさんの人たちに見送ってもらうことができ、うれしかったです。