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Days in my life

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余白の週末

本来の予定では
この週末は京都でライブを見て
その後ふらっと青春18切符を使って電車で気ままな旅に出る予定でした。

が、コロナウィルスの影響でライブは中止になり、
旅の予定も白紙に。

ひょっこりできてしまった余白の時間は
図書館を2軒はしごしてたくさん本を借りて、
ひたすら読みたかった本を読んでいました。

部屋に入る光は穏やか。
観葉植物の新芽も大きく膨らんできました。

英語学習をはじめて5年が経過

数年前からいつもこの時期に、
NHK英語講座が提供している「英語力測定テスト」に挑戦しています。
https://eigoryoku.nhk-book.co.jp/

今回は「基礎レベル」15問は全問正解、「応用レベル」15問は3問ミス。
レベルは「B2」という判定がでました。

B2レベル
社会生活での幅広い話題について自然に会話ができ、
明確かつ詳細に自分の意見を表現できる

——————-
自分の専門分野であれば、抽象的な議論も理解できる。
母国話者ともリラックスして、自然にやりとりができる。
いろいろな話題についての意見を長短含めて述べることができる。
https://eigoryoku.nhk-book.co.jp/cefr

当たらずと言えども、遠からずって感じ。

確か去年がB1レベル、
そして数年前に初めてこのテストを受けた時はA2レベルだったと思うので、
着実に力はついていってるようでホッとしました。

来年は上級者の入り口であるC1レベルを目指したいです。

この3月で、英語学習を始めて丸5年が経ちました。

シンガポールに移り住んだ友人が
いろんなバックグラウンドを持った多国籍な人たちと交流を深め
異国での暮らしを楽しんでいる姿を見て、
「英語のできない人生は、絶対に損をしている」と、痛感。

そして、
「私も、英語を自分の言葉として使えるようになりたい!!!」
と強く思いました。

そのためには、
付け焼き刃の短期的な丸暗記でなく、
長いスパンで取り組んでいくことが必要だと感じ、
まずは5年は継続して学び続けると心に決めました。

そうしてこの5年、
英語学習がゼロ時間の日を1日もつくることなく継続することができました。

なので、ひとまず初志貫徹!

5年学び続けて思うことは
予想していた以上に語学習得には時間がかかるということ。

そして意外だったのが、
学ぶ過程そのものが”fun(楽しみ)”であるということ。

英語に取り組んでいなかったら、
出会わなかった人々や本、モノゴトの捉え方・考え方は、
確実に自分の日々の暮らしを豊かにしていってくれていると感じます。

次の5年後、どんな風に英語と付き合っているかな。
5年前よりも明確な目標やイメージを持って、英語力を磨いていきたいと思っています。

英語なんて、ただの「道具」

レバノンでホリエモンがカルロスゴーンと対談してるYouTubeを見ました。
なんとなく見始めたけれども、目も耳も釘付けになりました。

ホリエモンは、決して流暢な英語を話しているわけではありません。
むしろ、ところどころ単語も出てこない時もあって、たどたどしいくらい。

けれどもゴーン氏と、ものすごい深い話をしています。
日本の司法システムの矛盾とか、
ゴーン氏の逮捕劇は嫉妬にまみれた日産幹部と検察官の緊密な協力によって仕組まれたものであるとか。

ホリエモンだから聞き得ることができた、客観的で衝撃的な事実。

ホリエモンの側には、
彼以上に英語が堪能な人がいたであろうのに通訳を立てず、
自分の言葉で聞きたいことを聞き、言いたいことを伝えている姿を見て、
改めて、英語ってコミュニケーションをするための「道具」なのだと、痛感しました。

もちろん、あえて書くほどでもない当たり前すぎることなんだけど、
ついつい
文法的に間違えないように、とか、
ネイティブっぽくかっこよく話そうとか、
きれいな発音で話そうとか、
ついそんなことに捉われがちになってしまうけど
そんなことよりも道具としてガンガン使ってなんぼやなぁ、と。
この映像を見て改めて強く感じました。


また、一昨年ゴーン氏が逮捕された時に感じたことがあります。
それは、日本と欧米諸国の報道のされ方がずいぶんと違うのではないか、ということ。

日本のマスコミはゴーン氏が完全悪であることが前提としてセンセーショナルに報道されていて、欧米のマスコミはもっと事実を客観に記し意見を述べている印象を持ちました。

もちろんたくさんの情報を追い続けていたわけでもないし、
その当時の私の英語力でしっかり読み込めてはいなかったこともあると思うけれども、
報道内容のトーンの違いは感じることができました。

そして思ったことは、
日本人が書いた日本語だけの情報や、
通訳者を通して日本語に翻訳された情報だけ見ていることって、
もしかしたら、じわじわとリスクにもなりかねないのかなと。

コロナウィルスの情報にしてもしかり。

まずは英語で発信された情報に興味を持ち続けること。
読んだり、聞いたり、時にはそのことについて話したり、書いたり、
自分のできる範囲で「道具」として、使ってみること。
それが大事なのだなと。

この頃少し目標を見失いがちだった英語学習のモチベーションにもつながりました。

潮目が変わる

今から17年前、
世間ではSARSが大流行し、
イラク戦争も開戦した直後に、
イタリアとフランスを放浪していました。

あの時はアジア人であることを侮辱されることや、
人種のことで嫌な思いをしたことなんて、一度もありませんでした。

そして、ウフィツィやルーブル、ポンピドゥセンターなど大きな美術館には
必ず日本語の音声ガイドがあり、
どこに行っても観光客として日本人が歓迎されているように感じました。

そして今、
コロナウィルスのの影響で
日本人が行くことができない国がどんどん増えてきています。
昨夜もインドが日本人に発効したビザを無効にするというニュースが飛び込んできました。

日本のパスポートは最強だと思ってたけど、
それは国の信用の上に成り立ってたことなのだということを痛感しています。

そしてその”信用”って言うのは、
先の大戦後、私たちの祖父母や両親の世代が
一生懸命生き抜いて築いてくれたものなのだとも思います。

日本人として日本のパスポートを持っていたら
無邪気にどこにでも行くことができていた時代から
大きく潮目が変わってきているように感じるこの頃です。

写真は2003年4月
イタリアヴェローナにあるカルロ・スカルパが設計したカステルヴェッキオにて。

「周りの人はすごいな」病

この頃の気温差に、体も心もうまくついていけてません。

もともと冬や寒いのは苦手。
けれども、
暖冬で気持ちがなんとなく緩んでいたところに寒波がやってきて
容赦なくビシバシくる感じ。
体冷やすと、どうもあれやこれやと、やられがち。

そんな時に陥りがちなのが
「周りの人はすごいな」病。

隣の芝生が青く見えたり、
自分が取るに足らない存在だと必要以上に思う時は、
きっと、自分がやるべきことができていない時。

「十」

楽しみにしていた中村一義の10枚目のアルバム「十」が、amazonより届きました。

十 [CD+DVD] (初回限定盤)
中村一義
ビクターエンタテインメント

届いてからCDデッキに入れてずっと聴いているけれど、
ブックレットを手にとってゆっくり見るのは土曜の夜になってから。

中村くんの歌は、
聞いただけでは何言ってるか聞き取れないところもたくさんあるので
洋楽を聴くかのようにまずは「音」として味わった後、
歌詞を見ながら聴いてどっしりと心に響くものを受け止めるのが
1997年のデビュー作「金字塔」以来の、新譜の楽しみ方。

ジャケットとブックレットの写真撮影は佐内正文、デザインは中島英樹。
デビュー以来、ずっと変わらない3人のタッグ。

「あと何回、
こうしてCDとして作品を手に取ることができるんだろう」
そんなことを、ふと思いました。

SpotifyやAmazon musicとか、
新しい音楽と出会う便利なツールはますます充実するばかりだけれど、
好きなアーティストの作品は、できるだけCDを買うことで応援したいと思ってます。

写真は散歩の道すがらカラフルなガラスブロックを見つけたので、
佐内さんが撮ったジャケットの写真を真似して撮ってみました。

爪を切る

1月があっという間に過ぎ去って行ってしまった。

ひとつの命を見送り、
たくさんの仕事をし、
締め切りに追われて息つく間もなかった、新しい年のはじまりの月。

そして気づけば爪が伸びていた。
子どもの頃は爪を切るまでのスパンってもっと長く感じていたけれど、
大人になるとそれがめちゃくちゃ早く感じる。

手元がだらしないとみすぼらしくなってしまうから気をつけないと。

髪も切りにいきたい。

ついさっきまで自分の体の一部だった切った爪を見て
ぼんやり思ったこと。

日曜日

驚くほど、寝た。

まあまあ早起きして、
張り切ってストレッチして
「充実した1日にするぞ!」と意気込んだものの。

録画していたテレビを見た後は
ただただ惰眠をむさぼる、
非生産的な1日でした。

123

夕方、徳島県庁前の「かちどき橋」で信号待ちをしていたら、
久しぶりに「123」と書かれたプラカードを持った人たちを見かけました。

今から20年前、
吉野川可動堰建設の是非を 問う住民投票を呼びかけるため
こうしたプラカードを持った人たちが交通量の多い辻々に立っていました。
そして、1月23日がその住民投票の日でした。

徳島って、普段はあまり”まとまり”や”団結力”のない県民性だと思うけど、
あの可動堰の建設を住民の意思で阻止したのはすごいことだと思うし、
誇らしく思います。

もう20年もの月日が流れたことに驚くとともに、
プラカードを持っている人たちの高齢化も感じました。

そういえば、
中村一義の「1,2,3」がリリースされたのも2000年だったなぁ。

1年でできること、
10年でできること。

心に刺さる言葉を見つけたのでここにもメモをしておきます。


Most people overestimate what they can do in 1 year
and underestimate what they can do in 10 years.
ほとんどの人は1年でできることを過大評価し、
10年できることを過小評価する。


ビル・ゲイツが言った言葉だそう。
確かにそうだ。

ついつい予定を詰め込みすぎて
ToDoリストが終わらないまま不完全燃焼で1日を終えてしまいがちな日々を反省です。

反省するだけじゃなく、
この言葉の意味をもっと味わって行動に移そう、そう思いました。

写真は約20年ぶりに登った、岡山の王子が岳。
20年前とは全然違う仲間たちと登って、
長い間忘れていたいろんなことを思い出しました。