「プラナカン」はマレー語で“この土地で生まれた子”という意味。

中国から交易のためにマレー半島にやってきた男性と、
現地の女性の間に生まれた子孫のことを、そう呼びます。

かつて東西交易で栄えたマラッカでは
ヨーロッパと中華、そしてマレーの文化がミックスされた
華やかなプラナカン文化が育まれたそうです。



ヨーロッパの建築様式のに影響を受けた建築にふんだんに施された精緻な装飾からも
往時の繁栄ぶりが伺えます。

プラナカンの男性は「ババ」、女性は「ニョニャ」と呼ばれ
プラナカン文化は別名「ババニョニャ文化」と呼ばれることも。


ゴム農園の経営で多くの財を成した一族の私邸を開放して作られた「ババニョニャ博物館」では、豪華絢爛で贅をこらしたプラナカンたちの暮らしぶりを垣間見ることができました。
撮影はこのエントランス部分のみOK。
人数が集まったら英語ガイドさんがついて案内してくれました。

ヒーレン通りにあった、白亜の大豪邸。

でも、街を散策して目に付いたのは空き家や傷んだ家の多さ、でした。


uberの運転手も「街中で遊ぶことはほとんどない」と言ってたし、
これだけ車社会が発達していたら、街中に住むメリットも少ないだろうし、
屋敷を手離したいと考える人も多いのかも。


世界遺産になったとは言え、
古い街並みを維持していくのにいろんな苦労があるんだろうなぁ…と。

軒下にある神棚のようなものにお供え物がしてあって
ここで暮らしを営んでいる人の気配が感じられると、
なんとなくホッとしました。

もっと英語やマレー語が話せたら、
町の人にもっといろんな話が聞けたのかもしれないな。